妙覚寺と折衷学派

妙覚寺と折衷学派

妙覚寺と折衷学派
妙覚寺と折衷学派

妙覚寺は徳川中期以降、世界的大都市でもあった「江戸」から移り住んだ文人墨客等の文化人との関係が深く、境内にはそれらを証する墓碑や頌徳碑が多数存在しています。
 
現在それらは九十九里町文化財の指定を受けております。
 

目黒自琢墓碑(妙覚寺)

幕末の優れた儒学者であった目黒自琢は江戸から離れ、この地で多くの門人を教育しました。 
妙覚寺は、伊能忠敬がその幼少年期を同寺住職の教育を受けて過ごしたといわれています。 
また徳川中期の折衷学派の太田錦城学系の西山翰海、長沼祐達、目黒自琢、藤代季園など、同寺を基盤として孔孟儒学を講じました。 
また医薬を施して広くこの地方の文化に貢献し、その後も幾多の有能な人材を輩出したお寺です。