妙覚寺からのお知らせ

妙覚寺の宝物三件が九十九里町文化財に指定されることになりました

この度、立正大学名誉教授中尾尭先生のご指示で、以下の三件が九十九里町文化財に指定されることになりました。

①日蓮聖人坐像(文禄3年1594) 木造 一木造・彫眼・彩色  像高22.4cm 奥 20.2cm 巾 22.7cm

日蓮聖人の木坐像で一木造。法衣に七条袈婆をかけ横被をまとい右手に桧扇を左手に法華経の経巻を持つ、端整な木像である。この時期にみる日蓮木像は寄木造が支配的であるが、本像は一木造りで珍しい。銘文は、文禄三年と慶長七年の二種があるので文禄三年造立、慶長七年修理とみられる。修理の段階で裳先の部分が即造されたと考えられる。袖などには麻布を貼った跡がみられる。

文禄3年とは西暦1594年です。今から418年前の安土桃山時代です。文禄3年にはこんなことがありました。2月27日 豊臣秀吉吉野で花見の宴を行う 8月1日 伏見城が完成し、豊臣秀吉が入城  豊臣秀吉が全国的に検地を実施(太閤検地

②不動明王立像(慶長3年1598)  高さ17.2 cm 像高10.1 cm 中8.2 cm 奥6.8 cm

羂索を持って岩岸に立つ一木造りの小像である。羂索は後補で剣と炎光背は失われている。日蓮系の本尊は曼荼羅本尊を木像造する風が江戸初期から始まるが不動・愛染明王の対像のうちの一つともみられる。慶長三年(1598)の造像銘があり、「大願成就而刻之」と願意が掲げられている。

慶長3年とは西暦1598年で今から417年前です。その年の4月8日に浅間山が大噴火  8月18日には豊臣秀吉が死去

③釈迦涅槃図(元禄3年1690)  低本着色縦:1 3 1. 8 cm 横:9 4. 1 cm

江戸時代初期、元禄三年(1690)の制作で全体的に淡彩で素朴な描画が注目され、地方画家によって描かれた涅槃図である。中央の台上には、涅槃に入る釈迦の着衣像を描き、金色身は金を用いず黄色の絵具で代用している。釈迦の周囲を囲む弟子、優婆塞、優婆夷、鳥獣、虫類などには戯画風の雰囲気があって本図の特徴とされる。雲上の摩耶夫人、跋提河の波、沙羅双樹などの構図は形式的ではありますが、素朴さを漂わせている。妙覚寺の檀家である板倉権兵衛が亡妻妙玄の菩提を弔うために元禄三年(1690)215日の釈迦涅槃にあたって涅槃会の法要に捧げるために寄進した涅槃図である。